【書籍紹介】『大往生したけりゃ医療とかかわるな【介護編】2025年問題の解決を目指して 中村仁一』

こんにちは、kenです。

多くの人に手にとって読んで頂きたいなと思った書籍がありますので紹介させていただきます。

本の紹介

書名:『大往生したけりゃ医療とかかわるな【介護編】2025年問題の解決を目指して』

著者名:中村仁一

出版社名:幻冬舎

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この本を紹介しようと思った理由

私は、介護老人保健施設で理学療法士として勤務しており、高齢者のリハビリに従事しています。書名に「医療とかかわるな」とありますが、日々関わっている医療従事者だからこそ、現状の高齢者への医療・介護のあり方に懐疑的に思う部分があります。この本は、我々現代人が、人の「生き方」、そして「死に方」について真剣に考える際の一助となる良書だと思いましたので、紹介させていただきます。

 

各章の内容紹介

1章:医療を利用する目的

医療は何のために利用するか。「人生を豊かに,人を幸せにするため,また,人間らしく死ぬため」ですが,それには,明確なゴールが必要です。それには2つあります。 

①治癒,回復の可能性が高い場合。

②生活の中身(QOL)が改善する見込みが高い場合。

回復の可能性やQOLの改善も見込めないのに,延命するだけの医療措置は利用するべきではない。本人の幸せに繋がらないだけでなく,医療資源の無駄遣いであると著者は述べています。

 

2章:穏やかな死を邪魔するもの

”延命治療”と”延命介護”が穏やかな死を邪魔していると著者は述べています。

”延命介護”とは,(中略)両手の麻痺がないにもかかわらず,自分でのみ食いしなくなった年寄りに,介護者が,介助でのみ食いさせることを指します。(中略)食欲は本能です。両手とも麻痺していればともかく,片方でも動けば手掴みででも食べるはずです。手を付けなければ,「死に時」が近づいている証拠といっていいでしょう。

しかし,実際には,私の職場(介護老人保健施設)でもそうですが,介護施設で食事介助をしなければ問題となりますし,食べさせることが仕事の一環となっています。このような現状に対し,著者は以下のように述べています。

北欧やオーストラリアのように,麻痺もないのに食事に手を付けなければ,そのままお膳を下げてしまうのが,一番いいのです。(中略)日本では,今,すぐ,手を付けなければお膳を下げてしまうようなことは,実行できないでしょう。でも,少なくとも,介護にあたる人は,前述のように介助して食べさせる行為が,相手に負担や苦痛を与えていないか,本当に相手のためになっているかを,その表情や仕草から読み取る努力が必要だと思われます。

 

3章:がん放置の効用

がん「放置」の効用には2つあると思います。

一つは,人生の締め括りができる,けじめがきちんとつけられることです。(中略)すなわち,借金や負債の清算,不仲になった人との和解や詫び,心残りのないように会いたい人に会い,行きたいところへ行く,また,死後,人目に触れたら困るようなものの整理など,十分に行う時間があります。

もう一つは,周囲にお礼とお別れをいえる,つまり「最後のエチケット」が果たせることです。(中略)繁殖期を過ぎた年寄りでは,極度の老衰で穏やかな最期を迎えるのを,沢山目にしてきました。大勢の年寄りが希望する「ポックリ死」では,何をする暇もありませんし,ぼけてしまっては,どうすることもできません。またねたきりでは,いつ死ねるかわかりません。

「がん」は,人生の最後の締め括りに適しているものなので,老人になったら,検診などでがんを探しまくらないほうがいい(発見されてしまうと放置するのはよほどの信念がないとできないため)というのが著者の意見です。

 

4章:穏やかな死と「いい看取り」

今の介護関連施設には”いい看取り”はほとんどないのではないかと著者は考えています。その理由として次の2つを上げています。

一、”延命介護”が行われている

二、利用者本位ではなく、家族本位になっている

延命介護は2章で紹介した通りです。介護保険は原則として利用者の意思が尊重されるのですが、認知機能の低下などで本人の希望や意思を確かめられない場合が多く、 現実的には家族の要望に沿うパターンが多いです。

”いい看取り”は、あくまで利用者本人にとってのものでなければなりません。今の介護現場では、本当に利用者本人のためになっているか、もしも物がいえたらお礼を口にしてくれるかという視点が、非常に希薄な気がします。 

また、病院には、「自然な死」がないため、「自然な看取り」もないと著者は述べています。 

「看取る」とは,ひとことでいえば,「枯れる」のを手伝うことです。少なくとも,邪魔はしないことです。水やりは,枯れるものを妨害する行為ですから,点滴注射など論外ということになります。しかし,医療の現場というのは,最後の最後まで何らかの医療行為をしないとおさまらないところです。(中略)ですから,原則として,点滴注射も酸素吸入もしない自然な「看取り」は,病院にはありえません。

 

5章:年寄りは「死」を視野に入れて生きる

健康寿命を延ばすことは大事だが、それと同等に、死に時が来たら潔く死を受け入れることもまた大事であると著者は述べています。

本来、年寄りには、じわじわ弱って死んでいく自然な姿を後継者に見せるという、最後の大事な役割があります。(中略)生、老、病、死は、「四苦」といわれます。死も、また「苦(ドゥッカ、思い通りにならないもの)」です。ですから、「死に方」にこだわるのではなく、「死」を視野に入れて、その日までどう生きるかを考えた方がいいと思います。

 

6章:2025年問題の解決に向けて

問題解決に向けて,まずするべきことは,無意味な延命治療・延命介護をやめることだと著者は述べています。

解決策としても,年寄り本人の幸せにつながらない「長生かし」を保険からはずし,自費扱いにすることです。なぜなら,回復もせず,QOLの改善もなく,ただダラダラと死ぬのを先送りするだけというのは,そもそも,医療の適応ではないからです。(中略)「寿命」のきた年寄りには食事介助をしないということを実行すれば,現在の特別養護老人ホームから,半分はいなくなりますし,約52万人ともいわれる待機者も半減するはずです。そうなれば,新たに特別養護老人ホームをつくる必要もなくなりますし,約38万人の介護職員不足を補うために,外国人を雇わずに済むことになります。

 

最後に

本書の中でも言及されているのですが,延命治療・延命介護を,どちらかというと積極的に望んでいるのは,当の本人ではなく,周りにいる家族ではないかと思います。仕事柄,多くの高齢者と日々接していますが,認知機能面がクリアで意思の疎通ができる方たちの口から,延命治療・延命介護を受けてでも,少しでも長生きしたいという言葉を聞いたことはほとんどありません。むしろ,寝たきりになって他人に迷惑をかける前に死にたいという方のほうが多いです。今の80代から90代の方が生きてきた時代は,「死」がまだ日常の中に自然なものとして存在していました。しかし,その子供や孫の世代には,「死」が非日常的なものへと姿を変えました。死を忌み嫌うものとして認識しているから,当の本人のためにならない延命治療・延命介護をしてまで生かそうとされるのではないかと思います。親のことを思うならばこそ,本人が穏やかな死を迎えられる道を選択するべきではないでしょうか。