【書籍紹介】『マスク社会が危ない 子どもの発達に「毎日マスクはどう影響するか?」 明和政子』

 

第1章 「毎日マスク」で子どもたちの発達が危ない

第1章では,コロナ禍で推奨された「マスク着用」と「身体的距離の確保」が子どもの発達に与える影響について書かれています。

1.1歳ぐらいでピークを迎える脳の「感受性期」

脳の感受性期

子どもの脳内ネットワークは,環境の影響を大きく受けながら発達していきますが,そのプロセスでは,環境の影響をとくに受けやすい,ある限られた特別の時期というものがあります。これを「臨界期(critical period)」といいます。ただし,このように表現してしまうと,その時期を過ぎたら脳は環境の影響をまったく受けないという誤解を与えてしまうので,「感受性期(sensitive period)」と呼ばれることが多くなってきました。

 

脳発達の感受性期とは,「環境に適応して生存可能性を高めるために必要となる脳内ネットワークの選択が急激に進む時期」ということができるのです。大脳皮質の中で,感受性期が比較的早くに訪れるのは「視覚野」と「聴覚野」です。これらの脳部位の感受性期は,およそ生後数カ月頃に始まります。1歳前ぐらいにピークを迎え,7~8歳頃まで続きます。

社会で生きていくために必要な脳の発達には,視覚野と聴覚野の働きが重要であり,それらが環境の影響を受けやすい時期が,乳幼児期であると述べられています。

 

2.「サル真似」をするのはヒトだけである

サル真似とヒトの発達

乳幼児期とは,相手の心を理解する能力や言語を獲得していくきわめて重要な時期です。こうした学びを可能にするのは,ヒトだけが持っているある特別な能力です。それが「サル真似」です。

 

ヒトは言葉を話し始める前から,他者の表情や行為を積極的に真似し始めます。ここには,相手の行為を自分の行為と鏡のように照らし合わせる「ミラーニューロン」という神経ネットワークが関与しているとみられます。

 

相手の笑顔を,自分でも真似してみる。その時に乳児は,自分自身が笑うという身体経験によって心地よさを感じます。その経験を,目の前にいる人の笑顔に鏡のように照らし合わせることによって,「この人は嬉しいんだ」という心の理解が可能となるのです。

「サル真似」という能力は,他の動物にはないヒトに特有の能力であり,ヒトの高度な文化を支えてきた基盤です。しかし,大人がマスクを着用していると,乳幼児からは相手の表情(口元)が見えないためサル真似ができず,相手の心を理解するというヒトにとって重要な能力の獲得に影響があると述べられています。

 

3.子どもの発達には「密」が欠かせない

乳幼児期におけるアタッチメント形成

哺乳類動物が,生後の生存可能性を高めるためには,栄養を養育個体から与えられることが必要なのは言うまでもありません。しかし,それだけでは十分ではありません。養育個体と身体を接触させる経験を通して,両者の社会的絆,すなわち「愛着(アタッチメント)」を形成することが不可欠です。

 

アタッチメントは乳幼児期に形成されますが,この時期のアタッチメント形成は,その後の脳と心の発達に大きく影響します。

 

アタッチメントは「身体感覚」と密接に結びついています。

ヒトは,乳幼児期の身体的接触を通してアタッチメントが形成され,自分の身体が自分のものであるという身体感覚を得ていくと述べられています。そして,身体感覚は「外受容感覚」「自己受容感覚」「内受容感覚」の3つに分類されます。

1.外受容感覚:身体の外部から入ってくる感覚。視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚

2.自己受容感覚:筋骨格系の感覚。手を伸ばして物を掴むなど,身体をどのように動かせば環境にアプローチできるのかという感覚。

3.内受容感覚:身体の内部に生じる感覚。内蔵感覚と呼ばれる。気持ちいい・苦しい・痛い・ドキドキするといった感覚。

 

4.乳幼児期の「心地よい感覚」が脳を育てる

対人関係の予測モデルの形成

身体の内部に心地よい感覚が起こっているときに,いつも見聞きする人の顔や声が記憶として結ぶついていくのです。これを「連合学習」といいます。もう少し具体的にいうと,養育個体に関する外受容感覚と心地よい内受容感覚が,脳の「島皮質」という場所で統合され,記憶されていくのです。

 

島皮質が成熟するのは,生後1~2歳ぐらいと言われています。この時期,養育個体との経験によって外受容感覚と内受容感覚の統合が進んでいくと,実際に授乳されたり,抱っこされたりしなくても,脳内で記憶として結びついた人の表情や声を見聞きしただけで,精神が安定するようになる。

 

脳は「予測」の臓器です。外界から何か刺激が入ってきてそれが認知されるまで,およそ0.1秒かかります。情報が何であるかを理解してから行動を起こしても遅すぎる。それでは生存できないのです。そこで,脳内には,経験に基づいて次に何が起こるかを予測する神経のモデルがつくられています。私たちは何かが起こる前にこのモデルに従って行動し,生きているのです。これを「内部モデル」といいます。

 

対人関係の予測モデルをつくる土台となっているのは,幼少期のアタッチメントです。この土台なしに,他者との関係を広げていくことはできません。

対人関係の予測モデルの形成には,外受容感覚と内受容感覚が脳の島皮質で統合され,記憶されるというプロセスが必要であり,そのためには乳幼児期のアタッチメント(愛着)が不可欠であると述べられています。

 

5.「なんでもすぐ消毒」の弊害

乳幼児にとって身体を介した触れ合いがきわめて重要なのは,この時期の身体感覚を獲得すること,アタッチメントを形成することにとどまりません。体内に生息する細菌を活用し,免疫を高める上でもきわめて大きな役割を果たします。

 

個人が持つ腸内細菌叢の形成にも,脳と同様,「感受性期」があるのです。3~5歳くらいまでに,私たちが生涯を通じて持つレギュラー菌の構成が決まるのです。

 

腸内細菌叢は,「幸せホルモン」とも呼ばれるセロトニンの産生に関わっています。セロトニンは神経伝達物質であり,その90%は脳ではなく腸に存在しています。セロトニンの不足が,うつ病やパニック障害などの不安障害の発症リスクに関与することも分かっています。

 

生涯もつ腸内細菌叢の基本がつくられる乳幼児期に過剰な感染対策を行うことが,この時期の子どもたちの脳や心の働きに実際に影響を及ぼしているのかどうか,さらに,それが今後どのような影響として現れてくるのかについてはまだ何も分かっていません。

コロナ禍の日本社会においては,コロナウイルス感染予防という大きな目的のためなら,他のすべてを犠牲にしても構わないという風潮が社会全体にあります。あとから取り戻せるものなら仕方なかったとも諦められますが,上記のようなその人の一生を左右するような事柄は,科学的な見地を踏まえ,もっと長期的な視点で考えるべきだったと思います。

 

第2章 ポストコロナ時代を生きる子どもたちに何ができるか

第2章では,コロナ禍からポストコロナへ向けて変わっていく社会で,大人たちが子どもたちに何ができるのか,著者の考えが書かれています。

1.中高生には「自ら考え,決断し,実行する機会」を与えるべき

マスクをつけるかどうかも含めて,誰かに迷惑をかけない範囲であるなら自分がしたいことは自分で決めていいということ,しかし,自分の思いは常に誰かと同じではないということを理解するための学びの場を積極的に設けていただきたいのです。

 

たとえば,マスク賛成派と反対派の立場から,それぞれの思いを率直にぶつけ合い,多様な見方や立場をイメージし,理解し,尊重し合う学びの時空間をぜひ設けていただきたいのです。マスクをつける必要性だけでなく,それがもたらし得るリスクの側面にも目を向けさせ,議論する。

コロナ後の社会において大事なことは,マスクをする人たちも,しない人たちも,双方が自分とは違う考えや思いの人たちがいるということを理解し尊重し合うことです。まずは,大人たちがその見本を示す必要があると思います。

2.次世代に対する大人の責任

今,社会は大きな変容を遂げようとしています。利便性の向上,省力化に価値を置いた「無駄のない」社会です。しかし,ここで想定されているのは,すでに完成した脳を持っている大人を前提としていることに,私たちは気づいているでしょうか。子どもは,環境の影響を強く受けながら脳を発達させている途上(脳発達の感受性期)にある存在です。子どもたちは,大人から見ると一見無駄に思われるような環境の中でさまざまな経験を積み重ねながら,ヒトという生物としての脳と心を育んでいくべきなのです。

パンデミックが始まって最初の1年程は,ウイルスの詳細がわからないため,感染したら死ぬかもしれない恐ろしいウイルスという認識から,大人の社会と同様に学校内でも厳しい制限を設けるのは仕方なかったとは思います。しかし,その後は,基礎疾患を有する高齢者以外には,死に至るような危険なウイルスではないと徐々に解明されてきました。それにも関わらず,徹底したマスクの着用,身体的接触の回避,学校行事の中止などがその後も継続されてきました。コロナ禍の約3年間のあいだに失われた,小学生や中高生の時間は二度と取り戻せません。残念ながら,この国の感染症対策を指揮してきた大人たちには,その認識はないのだろうと思います。

 

第3章は,ジャーナリストの鳥集徹氏との対談となっています。